映画「ジョーカー」を鑑賞しました。
DCコミックス「バットマン」シリーズに登場するスーパーヴィランであるジョーカーを主人公に描いた、2019年の米国サイコスリーラー映画。
従来のスーパーヴィラン映画の枠を超え、社会の闇と人間の孤独を鋭く描き出した作品です。
ジョーカーの原点を描いた作品ではありますが、過去に制作された映画「バットマン」とは世界観を共有しない独立した映画。
過去作品のどのジョーカーの過去を描いたものではないというのは注目ポイントですね。公開時のキャッチコピーは「本当の悪は笑顔の中にある」。
ということで、映画「ジョーカー」について書いていきます。
目次
映画「ジョーカー」あらすじ
この映画のあらすじは以下です。
舞台は1981年のゴッサム・シティ。経済的な困窮と社会の不安が渦巻く中、主人公のアーサー・フレックは日々の生活に苦しんでいる。コメディアンを目指しながら、ピエロの仕事で生計を立てている彼ですが、精神疾患に悩み、社会から疎外されていきます。次第に、アーサーの心の中には怒りと混乱が積もり、やがてそれは暴力として表出することになります。
主人公のアーサー・フレックがジョーカーへ変貌する衝撃の物語。
物語のクライマックスでは、アーサーがテレビ番組に出演し、その瞬間にジョーカーへと完全に変貌を遂げるシーンが描かれます。
このシーンは、映画全体のテーマを象徴するものとして強烈な印象を残します。
監督はトッド・フィリップス
映画「ジョーカー」は2019年10月4日にアメリカで公開され、トッド・フィリップスが監督を務めました。
主演のホアキン・フェニックスは、精神的に追い詰められた男が狂気に陥っていく様子を見事に演じきり、その演技は世界中の批評家や観客から絶賛されました。
サイコロジカル・スリラーとしての側面と、深いドラマ性が見事に融合した本作品は、122分という時間の中に強烈なメッセージを詰め込んでいます。
役作りのために23kgの減量
アーサー・フレックス役のホアキン・フェニックスですがGoogleで検索すると別人が登場します。
というより、映画「ジョーカー」の時とは体格も顔つきも異なるため、同じ人だとは想像が出来ません。
それもそのはず、役作りのために50ポンド(約23キロ)以上の減量をしたのだとか・・・。
引用:ホアキン・フェニックス、ジョーカーを演じるために20キロ以上の減量。
社会からの疎外と孤独がテーマ
映画「ジョーカー」の中で最も強烈に描かれるテーマは、社会からの疎外と孤独です。
アーサー・フレックは、社会から見放され精神的にも追い詰められていく中で、自らのアイデンティを失います。
そして、暴力的なジョーカーへ変貌していくという流れ。
映画全体の流れは以下の通りです。
序盤:アーサーは精神疾患を抱えながら母親の介護をし、生計を立てる為にピエロの仕事をこなす日々を送る。
中盤:社会の不公平や暴力に耐えかねて、アーサーの心は次第に歪んでいく。
終盤:アーサーがテレビ番組に出演し、劇的な転換点を迎える。
結末:ジョーカーとしての覚醒と混乱する様子が描かれる。
映画はまた、不公平と暴力の問題を取り上げ、貧困層と富裕層の間にある溝を描いています。
アーサーの崩壊は、単なる個人の問題ではなく、社会全体の病理を象徴しているとも言えるでしょう。
■映画「ジョーカー」予告編
社会の不公平さが暴力を生み出す
本作のテーマをさらに分解するとしたら以下の3つです。
①アーサーの孤立感と精神疾患への偏見
②アーサーからジョーカーへの変貌
③貧困層と富裕層の対立
それぞれ詳しく書いていきます。
アーサーの孤立感と精神疾患への偏見
映画「ジョーカー」は、社会から疎外された人々の孤独感を鮮烈に描いています。
アーサー・フレックは精神疾患を抱えながらも日常生活を送ろうと努力していますが、周囲から奇異な目で見られ、理解されることはありません。
彼の孤立感は、精神的な崩壊を促進し、次第にジョーカーへという存在への変貌させます。
社会が彼を見捨て、偏見を持つことで彼の内面に潜む狂気が目覚める様子が強烈に描かれます。
アーサーからジョーカーへの変貌
絶望が怒りへと変わった時、人はジョーカーへと変貌する。
この一言に尽きると思います。
アーサー・フレックがジョーカーへと変貌する過程は、まさにアイデンティティの崩壊を象徴しています。
・道化師という仕事をバカにされる:人を笑わせるのが夢
・突然仕事を解雇される
・障害者であることを理解されない、気味悪がられる
・貧困層へ対するぞんざいな扱い
・行政のコストカットでカウンセリングが中止
・母親の裏切り
様々な不幸が重なったことにより、彼は自身の存在意義を見失い、次第に自己の中に潜む暴力性に身を委ねていきます。
社会からの拒絶と絶え間ない苦痛が、彼のアイデンティティを破壊し、最終的にジョーカーという狂気に満ちた人物へと転生させます。
この変貌は個人のアイデンティティがどれほど脆弱であり、社会的な要因によっていかに簡単に崩壊しうるか強く示しています。
カウンセラーとの会話の中でのセリフです。
自身の存在意義を失いかけていたアーサーにとって、カウンセリングは心の救いの場でもありました。
しかし、行政のコストカットによりカウンセリングが受けられなくなり、一層孤立の道へと進みます。
貧困層と富裕層の対立
貧困層と富裕層の対立が物語の中心に据えられ、その対立が主人公アーサー・フレックをジョーカーへと変貌させる重要な要因として描かれます。
この対立はゴッサム・シティ全体に広がる不公平な社会構造を象徴しており、映画内でいくつかの具体的なシーンを通じて強調されています。
代表的なシーンは以下の4つです。
①アーサーと社会保障の削減
②トーマス・ウェインとの対立
③トークショーのシーン
④ゴッサム市の暴動
それぞれ詳しく書いていきます。
1.アーサーと社会保障の削減
映画の序盤、アーサーは精神疾患を抱えながらも、カウンセラーとのセッションを通じて何とか日常生活を維持しようとしています。
しかし、ゴッサム市が社会保障を削減することによって、このセッションが中断され、彼は薬を手に入れることができなくなります。
これは、貧困層が社会から見捨てられ、必要な支援を受けられない現実を象徴しています。
富裕層が影響を受けない一方で、社会の底辺にいる人々が最も打撃を受けるこの構図は、アーサーの孤立と絶望を深める一因となっています。
2.トーマス・ウェインとの対立
映画の中盤では、アーサーが自分の母親がかつてトーマス・ウェインの愛人だったという手紙を発見し、自らの出自に疑念を抱きます。
彼は真実を確かめるためにウェイン家を訪れますが、トーマス・ウェインから冷たく拒絶されます。
ウェイン家はゴッサムの富裕層を象徴しており、トーマス・ウェインの態度は、貧困層を蔑視する富裕層の無関心を表しています。
この対立は、アーサーにとってさらに強烈な疎外感を生み出し、彼の内面の混乱を加速させるのです。
3.トークショーのシーン
物語のクライマックスであるトークショーのシーンでは、アーサーがマレー・フランクリンに対し、社会の不公正について激しい非難を浴びせます。
このシーンでは、アーサーが自分を蔑む者たちを痛烈に批判し、彼を見下す富裕層に対する怒りを露わにします。
最終的に、アーサーはマレーを銃で撃ち殺します。
これがジョーカーとしての覚醒の象徴的な瞬間です。
この行為は、社会の不公正に対する最も極端な抗議として描かれ、貧困層がいかにして暴力に駆り立てられるかを示しています。
4.ゴッサム市の暴動
映画の終盤、アーサーの行動がきっかけとなってゴッサム市で暴動が勃発。
貧困層がピエロのマスクをかぶり、暴力的な抗議行動を繰り広げ、富裕層や権力者に対する憎悪を爆発させます。
これは、社会の不公平が限界点に達し、抑えきれない怒りが街全体を混乱に陥れる様子を象徴しています。
ジョーカーは、この混沌とした状況の中で自己を確立し、暴力と混乱の象徴としてその存在を確立します。
まとめ
2019年に公開された映画「ジョーカー」は、バットマンの宿敵であるジョーカーの誕生秘話を描いた作品であり、監督トッド・フィリップスと主演ホアキン・フェニックスの才能が結集した傑作です。
映画は1981年のゴッサム・シティを舞台に、精神疾患に苦しみながら社会から孤立するコメディアン、アーサー・フレックが次第に狂気に陥り、ジョーカーへと変貌する過程を描いています。
本作のテーマは、社会の疎外と孤独、不公平と暴力、そしてアイデンティティの崩壊です。
アーサーは周囲から理解されず、精神疾患への偏見によって孤立を深めていきます。
また、貧困層と富裕層の対立が強調される中、彼の絶望と怒りは暴力として噴出し、都市全体を混乱に陥れます。
アーサーがジョーカーへと変貌する過程は、社会的な要因がどのように個人のアイデンティティを崩壊させるかを示しており、観客に深い問いかけを投げかけます。
ホアキン・フェニックスの演技は絶賛され、彼はアカデミー主演男優賞を受賞しました。
「ジョーカー」は単なるエンターテイメントにとどまらず、現代社会の問題を鋭く描き出した作品として評価され、映画史に残る重要な作品となっています。